私は、平成11年に4,500万円の新築マンションを、頭金500万円で購入をしました。月々の返済金額は均等返済で、月々約18万円でした。私の仕事は米国系のネット証券関連プログラムを構築・販売する会社でした。私がマンションを購入した年の前後は、その業界は非常に活況があり、順風満帆で行くかにみえました。したがって住宅ローンでトラブルどころか、繰り上げ返済すら全然問題無いと考えていた矢先ことです。
私の勤務先が日本支社を閉鎖して上海へ会社の機能移転するという事になってしまいました。当時私の年収は約800万円あったのですが、同額の収入が得られる同業種への転職は不可能なことを知りました。苦労した末に就職した会社での年収は500万円でした。
当然、年を重ねる毎に返済は苦しくなる一方でした。返済が苦しくなってくると、消費者金融に駆け込み何とか表上は事故にならなかったのです。持ち家があり、年収も500万円ありましたので、どの消費者金融でも50万円は貸してくれました。消費者金融で借りた金はボーナスで返済していましたが、再就職先の会社も業績悪化の為に、ボーナスも最終的には大幅な減額となりました。月々のランニングコストを下げる為に、車も売りました。お酒・タバコ・ゴルフなどお金のかかる趣味は総て止めました。
と、しかしその頃から、住宅ローンの延滞が始まったってしまいました。しばらくして、住宅ローンを借りている銀行に行き事情を説明しました。銀行の担当者から「全ての借り入れ状況を教えてほしい」というので説明しました。私の説明を聞いていた担当者の顔が明らかに険しくなったのをはっきり記憶しています。なんでもっと早く相談しなかったのですか、と我が事のように心配してもらいましたが・・・、「もう打つ手はありません!」と言われてしまいました。消費者金融の催促の厳しさを振り返り、なんで始めから銀行に相談しなかったのか悔やまれました。
銀行から帰宅して、必死にインターネットで情報収集していて、ここ「任意売却.Biz」さんのページを目にして相談をしました。電話を入れた翌日にはスタッフの方が会いに来て下さいました。そして、自宅を任意売却で処分していただきました。
任意売却後の残った債務の交渉を債権者と月々1万円の返済で折り合いを付けていただき助かりました。今は、電話に怯える事もなくなり、妻そして子供達とそれなりの生活を送れるようになりました。妻と子供の笑い声も出るようになりました。
世田谷区の賃貸マンションに住む、結婚して2年目。子供のいないM様、30才ご夫婦は、新聞チラシに「今の家賃で自分の家がもてますよ!!」という広告を見た奥様の、「ねえ、日曜日に見に行かない?」と冗談半分で始まったお話でした。
半年後に3,200万円で68m2のマンションを購入しました。頭金「ゼロ」の総て借金です。諸費用含めて「3,600万円」となりました。奥様はとある会社で正社員として働き年収が200万円以上あります。ご夫婦の合計年収は約600万円。購入したマンションは共有名義で、M様3分の2、奥様が3分の1の持ち分です。全て不動産仲介業者に任せ、お二人はハンコを言われるままに押しただけです。
住宅ローンは、月8万円、ボーナス時32万円。新居に引っ越す際に、カーテンや家具、電気製品を新調した、いわゆる引っ越し貧乏です。これら新調した家財の月々の返済が4万円です。30才という若さで持ち家という、他人がみたらスゴイと感じたことでしょう。お2人とも返済など気にすることなく快適と思われる生活が始まりました。
しかし、年間に支払う住宅ローン150万円、管理費24万円、固定資産税12万円プラス他のローン50万円と、年間約240万円の返済をしなくてはなりません。
このご夫婦の悲劇は、この時にすでに始まっておりました。返済が始まって初めてのお正月、そして2月になると「ボーナス月の32万円の返済」、3月には「不動産取得税20万円」の請求が来て、お2人は結婚して初めて、そして人生で初めてお金から「追い込み」をかけられたのです。6月には奥様の妊娠が判り、嬉しいはずなのに率直に喜べない状況になっていたのです。一息つくと襲ってくる「ボーナス返済」。12月にボーナスをもらっても、2月のボーナス返済の為に使えません。固定資産税の12万円も大変な額です。
お子様が生まれる1ヶ月前まで大きなお腹で働いていた奥様も出産のために退社せざるをえませんでした。 お子様が産れると、奥様は育児のストレスと住宅ローン返済のストレスが溜まりだしました。そして、カードローンのキャッシングが始まりそしてサラ金です。楽しいはずのマイホーム生活が一転して地獄です。お子様が2才になる前にM様の収入ではどうにもならなくなりました。お金の切れ目がではありませんが、奥様の気持ちもどうにもならなくなり、協議離婚、奥様は子供を連れて宮城の実家に帰ってしまいました。M様は退職し、トラックの運転手そしてクレーンのオペレイターになりました。
そして、破産を決意。我々は弁護士の依頼でM様のマンションを訪れました。玄関を入り廊下を歩いても生活感は全くありません。3LDKのマンションにM様の一人暮らしです。奥様が家財・家具のほとんどを持って行ったのでしょう。
クリーニングをすれば直ぐにでも売却可能です。奥様にも連絡をし「専任媒介契約書」に「捺印」を貰い、販売活動に入りました。むろん、奥様には「残債務」の返済の請求が来る事を伝えました。マンションの売却価格は「1,480万円」でした。
この様に、始めから返済が難しいことが分からず、「行け行けの不動産業者」の言われるままに購入して、破産までしていく人も少なくありません。結果、M様は自己破産、奥様は共有名義の連帯債務者となりました。一時の夢としては高くついたものです。このM様は、任意売却後の残った債務の支払いを債権者側に月々1万円の返済で合意していただけました。
千葉県船橋市で社員20人の内装業を経営するK様43才のお話です。
弟さんはサラリーマンになってしまい、もともと建築が好きだったK様がお父さんの後を継いだそうです。大学は建築学科を卒業。K様は何ら抵抗も無く家業を継いだそうです。
K様の夫は裏方で専務になって、2人で頑張ってきました。お子様は2人おり、船橋の実家でご両親含め6人で生活してきました。
事業も順調に行っている為に、弟夫婦に実家を譲り、平成12年に墨田区に88m2のマンションの一時募集に応募したのが春の事です。入居は12月。価格は5,800万円。頭金は1,000万円。
夏休みに子供を転校させ、東京・墨田区に購入するマンションの近くに賃貸マンションに引っ越し準備を整えていました。
秋になると事態が急変しました。仕事の受注先の建設会社が不渡りを出し倒産。K様の会社は6ヶ月分6枚の手形を持っており、総額3億円以上あります。むろん全て不渡りです。銀行で割引をしていたので、銀行との交渉が毎日のように続いておりました。その合間に、マンションの購入を止める旨をマンション業者に連絡すると、販売価格の20%を違約金として支払っての解約との回答です。ただでさえ金策に走り回っているのに、1,100万円の違約金なんて払う事が出来ず、銀行との交渉が上手く行きさせすれば何とかなると思い、結局、購入する事にしてしまいました。マンションに入居する頃には会社は倒産寸前です。
K様は、ほとんど毎日の様に銀行に行き交渉をしてきましたが、平成13年4月に銀行との交渉も決裂し会社は倒産状態となり、残っていた5人の社員も解雇、夫と2人だけになってしまいました。それでも、仕事を依頼してくれる会社もあり、そのまま下請けに回し、少しだけの利益を取っていたそうです。
銀行との交渉が決裂したため、銀行は担保に取っていた船橋の実家を競売にかけてきました。弟夫婦が両親を引き取り賃貸アパートに引っ越して行きました。長い間、住んでいた実家も競売で落札され人手に移ってしまったそうです。
購入したマンションは約1年間、遅れながらも返済をしていたそうです。
我々が債権会社の依頼で、K様に会いに行った時は母子家庭とのことで公営の団地に住んでいました。小学校2年生になる男の子を連れて待ち合わせの喫茶店に来たK様さんは、まだ女社長の面影も残していました。
今後の生活への不安はあるのでしょうが、売却には応じてくれ「専任媒介契約書」にハンを押してくれました。「子供が2人居るので、自己破産者にはなりたくないんです」とキッパリ言われたのが印象に残っています。権利書を紛失していたために保証書で売却をする事となりました。K様の協力で手続きは順調に進みました。
マンションの売却価格は2,200万円と購入価格の半分以下です。K様の場合、商工ローンやサラ金に手を出していなかったのが不幸中の幸いです。銀行だけの借金で当座も使っていなかった為、支払いは銀行一つのみです。銀行へは少しずつ返済していくそうです。かしこいK様の事です、上手くしのいで欲しいです。 このK様の、任意売却後の残った債務の支払いは月々2万円支払う事で債権者側に合意していただけました。